「いいね」の数で、自分が嫌いになるとき。

SNS時代にこそ、サルトルの哲学を。

SNSに投稿して、しばらく経つ。
“いいね”の数が思ったより伸びない。

一方で、同じ時間に投稿された誰かの写真は何百もの「いいね」で溢れている。
その差に、胸がざわつく。

映えるように加工し、言葉を練って投稿したものほど、反応が薄いと心に突き刺さる。
「私には魅力がないのかもしれない」
そんな風に、自分の存在まで否定したくなることがある。

SNSが“評価社会”を作ってしまった

現代の若者は、日常の中で常に誰かの評価と隣り合わせにある。

投稿を見てもらえるかどうか。
どれだけ「いいね」がつくか。
誰がシェアしてくれるか。

その数字の積み重ねが、自分の価値を決めてしまうように感じる。
そして、多くの人が“評価される自分”を演じるようになる。

だが、それは本当に「自分」だろうか?

哲学者サルトルの言葉に、立ち止まるヒントがある

20世紀フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルはこう述べている。

「実存は本質に先立つ」

人は、生まれた瞬間から“意味”や“役割”を持っているわけではない。
どんな人生を選ぶかによって、自分の意味を形づくっていく存在だという。

これは、SNSで評価されないと自分に意味がないように感じてしまう現代人にとって、重要なメッセージだ。

「誰かに“いいね”されなくても、自分には価値がある」
「評価されることでしか、自分の存在を肯定できない世界はおかしい」

そう考え直すことは、“他人の視線”から自分を取り戻す第一歩なのかもしれない。

「いいね」より、「いい声」を

スマホを閉じて、自分の内側に耳を澄ませてみる。
数字では測れない、自分の感情、想い、違和感。

“いいね”よりも、自分の中の“いい声”を大切にすること。
倫理の授業で学んだはずの哲学は、じつはこうして現代にも生きている。

誰かに認められなくても、自分を否定しない力。
それこそが、これからの時代に求められる倫理ではないだろうか。

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