「ちゃんとしてるね」「安定してるね」
そう言われるたびに、なぜか息苦しかった。
いい学校に入り、安定した職に就き、将来を考えて生きていく。
世間で言う“ちゃんとした人生”を、自分もどこかで目指していた。
でも、ある日ふと気づいた。
「これは、本当に自分の望んでる人生なんだろうか?」と。
社会が求める「正解」に従っていれば、
大きく失敗することはないかもしれない。
でも、自分の内側の「違和感」を無視し続けていると、
だんだんと心が鈍くなる。
毎日やることはあるし、周りから見れば順調そうにも見える。
でも、ふと立ち止まったとき、どこか空虚だった。
「このまま、あと30年生きるのか?」
そんな問いが、胸の奥で静かに響いていた。
勇気が要ったけれど、“普通”を手放してみた。
やってみたかったことに手を伸ばし、
ずっと心にしまっていた「好き」に向き合った。
カメラを手に取り、山を歩き、物語を作り始めた。
「そんなことで食べていけるの?」
「安定しないじゃん」
という声もあった。
でも、そのたびに思った。
「それでも、自分の人生だから」
正解の人生をなぞるより、
たとえ不格好でも、自分の感覚に嘘をつかない生き方のほうが、
後悔は少ない気がしている。
「安定」を得た代わりに、
本当に大切なものを見失っていたのかもしれない。
今、「このままでいいのかな?」と感じている人へ。
その違和感は、あなたを責めているのではなく、
あなたの中にある“もうひとつの人生”がノックしている音かもしれません。
“普通”を手放すことは、怖い。
でもその先には、自分の本音と出会える景色がある。
そして何より、生きてる実感がちゃんと待っている。
おわりに
人生は思っているより柔らかくて、
少しずつでも、自分のかたちに変えていける。
他人の正解を生きるのではなく、
自分の違和感を、人生のコンパスにしてもいいと思う。