教育は答えを教えるものじゃない〜問いを渡すという教育〜

「なんで勉強しなきゃいけないの?」

その問いに、あなたはどう答えますか?

教育の現場にいて、何度も聞かれる質問。
そして、大人である自分自身にも突き刺さる問い。

正直に言えば、「正解」はわからない。
でも、「問い続ける姿勢こそが学びだ」と、今は思っている。

かつての教育は、「正解」を覚えさせることだった。
答えのある問題を、いかに早く、正確に解けるか。
それが優秀さの証明だった。

でも、今の時代はどうだろう?

AIが正解を即座に教えてくれる時代に、
私たち人間に求められているのは「問いを立てる力」だ。
そして、それを持続させるしなやかな精神だ。

「なぜ勉強するのか?」
「なぜこの社会はこうなっているのか?」
「なぜ自分は、これをおもしろいと感じるのか?」

こうした「正解のない問い」こそが、
人生を動かしていく。

学校や先生ができることは、
「答えを与えること」よりも、
「問いを渡すこと」なんじゃないか。

子どもたちは本来、問いの天才だ。
「なぜ?」「どうして?」と世界に疑問を向ける天性の力がある。

でも、テストの点数や偏差値、
「こうしなさい」「こうあるべき」という大人の価値観に触れるうちに、
その問いの芽が摘まれてしまうことがある。

「黙って従う方が楽」と思わせてしまう環境は、
果たして教育と呼べるのだろうか?

教育は、未完成でいい。

わからないことを「わからない」と言える空気。
自分の興味を恥ずかしがらずに表現できる環境。
間違えても、そのプロセスごと肯定される関係性。

そうした未完成な場こそが、
教育の理想かもしれない。

私たちは「完成された人間」を作るのではなく、
「問い続ける人間」を育てることを目指すべきだ。

おわりに

子どもたちの問いに、すぐに答えようとしないでいい。
むしろ一緒に考えること、悩むこと、探すこと。
そのプロセスにこそ、本当の教育の価値がある。

だから今日も、僕は子どもたちに問いかける。

「君はどう思う?」

その一言から、学びは始まる。

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