― 守るべきものは「モノ」なのか、「人」なのか ―
観終わったあと、しばらく席を立てなかった。
久しぶりに、「ただ面白かった」「泣けた」では片付けられない映画だった。
心の奥深くに何かが刺さって、ゆっくりと広がっていく。
映画『国宝』は、そんな作品だった。
タイトルの「国宝」と聞くと、何か日本的で格式高く、厳かで守るべき美しいものを想像してしまう。
けれどこの作品が描く「国宝」は、もっと人間くさく、むしろ泥にまみれた“業”そのものだった。
舞台は、戦後から現代に至るまでの日本の伝統芸能の世界。
芸術家たちの名声、継承、嫉妬、裏切り。
表舞台では「美」として賞賛されるものの裏側にある、生々しい人間模様がじっくりと描かれている。
まず、冒頭の永瀬正敏さんの登場シーンが圧巻だった。
演じているのは、物語の発端となるヤクザの役。
出てきただけで空気が変わる。セリフが少ないのに、そこにいるだけで背筋が伸びるような存在感。
役の大小ではなく、俳優の「格」を見せつけられた瞬間だった。
そして、主演の吉沢亮さんと横浜流星さん。
この二人の演技は、ただ「上手い」では語りきれない。
劇中で“女形”を演じるという難役に挑んでいるが、そこには単なる役作り以上の何かがあった。
女形という存在そのものに「化身」していた。
吉沢亮さんは、もともとの端正な容姿を超えて、まるで別の生命体のように、しなやかで、儚く、そして強かった。
表情のひとつひとつ、指先の動きまでもが完成された“美”であり、内面の葛藤を感じさせる“業”でもあった。
横浜流星さんもまた、異様なほどの集中力と存在感で、画面の空気を変えていた。
二人とも、役を演じているというより、“生きていた”。
この映画がここまで深く刺さった理由のひとつは、間違いなくこの二人の化身的な演技だと思う。
音楽も非常に印象的だった。
大仰な劇伴ではなく、静かに、でも確実に心に染み込んでくる旋律。
セリフのない場面で、音楽がそっと観客の心を支えるような感覚があった。
そして観ながらずっと考えていた。
「本当の“国宝”って何なんだろう?」
作品?技術?名声?
いや、そうじゃない気がする。
人が何かを必死に守ろうとするその姿勢、生き様、覚悟――
それこそが、本当に残していくべき“国宝”なのかもしれない。
この映画は、派手な展開があるわけでもなく、分かりやすく感動を誘う作品ではない。
でも、静かに、深く、心に問いを投げかけてくる。
人生を一度立ち止まって見つめ直したい人にこそ届いてほしい、そんな作品だった。