誰にでも、「この人の出てる作品はなぜか観てしまう」という俳優がいると思う。
私にとって、その二人が——斎藤工さんと山田孝之さんだ。
たとえば、「話題作だから」でもない。
作品によってはクセが強すぎたり、重すぎたり、簡単にオススメできないものもある。
それでも、気づけば観ている。
観たいというより「覗きたい」に近いかもしれない。
この二人が、次はどんな世界に飛び込んでいくのか。
斎藤工さんには、どこか“見透かしているような目”がある。
テレビで見る柔らかい印象とは違って、スクリーンの中ではむしろ「この人、大丈夫かな」と思わせるような不安定さや影が漂う。
でもその“危うさ”が、どうしようもなく惹きつけてくる。
静かに、でも確かに何かを抱えている男。
それを、言葉より空気で伝えてくる。
一方の山田孝之さんは、完全に“変幻自在”。
ヒーローからチンピラ、ド変態、聖人、凡人まで、どんな役をやっても「山田孝之が演じている」とは思わせない。
なのに、強烈に“山田孝之の世界”になってしまう。
役になりきるというより、その役を「生きて」いる感覚。
作品ごとに振れ幅がありすぎて、もうこちらが試されているような気すらしてくる。
二人に共通しているのは、きっと「カッコよさの使い方」をわかっているところ。
そのままでも十分“絵になる”人たちなのに、あえてそれを壊したり、ずらしたり、時には裏切ったりする。
その「ズラし」が、観る者にとっては中毒性になる。
「え、そうくるの?」と驚かされるのが、だんだん快感になってくる。
だから、ついまた観たくなる。
次はどんな役?どんな世界?どんな変身?
観終わった後、必ずしも「スッキリ」しなくてもいい。
心のどこかにざらっと何かを残してくれるから、また次を求めてしまう。
そんな俳優、そう多くはいない。