年収よりも、「どう一年生きたか」に価値を置くようになった話

若い頃は、どこの大学に通っているか、どんな会社に勤めているか、それだけで一喜一憂していた。
自分の価値を、肩書きや所属で測っていた時期がたしかにあった。
でも今振り返ると、それは“自分の軸”がまだなかった証だったのかもしれない。

年齢を重ね、さまざまな経験をしていく中で、次第に大学名や企業名に対する執着が消えていった。
今の自分が大切にしているのは、「この一年をどう生きたか」「どんな時間を過ごしたか」ということだ。

朝のしんどさと、今の朝の違い

20代の頃、通信制高校で教員をしていた時期がある。
毎朝、気持ちが重くて、駅のホームに立つと「このまま逆方向の電車に乗って、海まで行ってしまいたい」と本気で思ったことも何度もあった。
朝がただただ「つらい時間」だった。

でも、10年経った今は違う。

早朝、まだ町が静かなうちにジムに行き、汗を流してから朝食をとる。
同じ「朝」なのに、感じ方がまるで違う。
身体を動かし、心に余白ができるだけで、こんなにも生き方は変わるのかと驚く。
あの頃の自分に「朝はこんなふうに心地よく始められるんだよ」と教えてあげたい気持ちになる。

競争からの離脱と、選び直したフィールド

かつては競争こそが自己成長の原動力だと思っていた。
実際、競争の中で能力を磨き、結果を出し、自分なりに立場も築いた。
競争に感謝している部分もある。

でも、どこかのタイミングで限界を知る。
たとえば、どれだけ努力しても自分は大谷翔平にはなれない。
それでも同じ土俵で戦い続けるかと問われれば、それは違うと感じた。

だから僕は、自分が輝けるフィールドを別に探した。

教育支援と、自分らしい働き方

いまの自分の軸は「教育支援」。
コーチング、学習指導、進路相談を通して、一人ひとりと丁寧に向き合う仕事をしている。
これは単なる“教える”という枠を超えた、人生に寄り添う支援だと思っている。

そのほかにも複数の柱をバランスよく持ち、自分なりの“経済と心の安定”をつくっている。

スタバで映画の脚本を書くという新しい週末

最近は、週末にスタバへ行き、自主制作映画の脚本を書くのが習慣になった。
テーマは「戦争」「家族」「再生」、そして「生きるとは何か」。

心の中に浮かんだ言葉や情景を、ノートPCに打ち込んでいく。
誰かに評価されるためではなく、自分の内側から湧いてくるものを形にしていく時間。
とても静かで、豊かな時間だと思う。

「豊かさ」は自分で定義していい

会社の看板がなくても、高年収でなくても、
自分に無理のないリズムで働き、暮らし、表現する。
そうすることで、気づいたら「朝」が好きになっていた。

表面的な幸せを演じるのではなく、
本当に心地よい時間を積み重ねる。
年収よりも、「どう一年を生きたか」。
それが、いまの自分にとっての“豊かさ”の指標だ。

おわりに

もし今、朝がつらい人がいたら、かつての僕と同じかもしれない。
でも、10年後には“朝が待ち遠しい時間”になっているかもしれない。

自分の生き方は、自分で更新できる。
そんなことを、スタバでコーヒーを飲みながら脚本を書く週末に、ふと思った。

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