よく「頭がいい、悪い」みたいな言葉が使われるけれど、僕が苦手なのは、テストの点が悪いとか知識がない人じゃない。
人としての最低限のルールや配慮がない人。つまり「人としてバカ」な人が苦手だ。
たとえばこんな人たち。
• 他人の財布から平気でお金を取る
• 葬式の場でゲラゲラ笑って空気をぶち壊す
• 他人の迷惑を全く考えない
• 嘘をついても悪びれない
• 注意されても「うるせーな」と逆ギレ
そういう人たちと関わると、なんだか心の奥がざわざわする。
「この人は、どこまで他人を傷つけても平気なんだろう?」と怖くなる。
これは差別なんだろうか?
ふと考える。
「人としてバカな人が嫌い」って言うと、それって差別になるのかな?と。
でも僕が嫌っているのは、その人の行動や態度であって、
生まれや育ちや、知能指数そのものではない。
実際、「育ちは悪かったけど、めちゃくちゃ礼儀正しい人」に出会ったこともあるし、
「高学歴だけど他人への敬意がゼロな人」にうんざりしたこともある。
つまり僕が嫌なのは、「人間としての最低ライン」を越えてくる人。
他人への思いやりもなく、自分の非を省みることもなく、社会のなかで生きる意志が感じられない人。
育ちの違いが生む絶望的なズレ
正直に言えば、そういう人に出会うと、
「この人と話しても通じ合える気がしない」と感じてしまう。
僕はたぶん、最低限のマナーや常識を「当然」と思って生きてきた。
だからこそ、そうじゃない人を見ると「それ、なぜわからないの?」と戸惑う。
理解し合える可能性がゼロに見える。だから苦手なんだと思う。
でも、決めつけには注意したい
ただ、最近は意識的に自分に問いかけるようにしている。
「この人、本当に人としてダメなのか? それともただ、知らないだけなのか?」
人は、生まれ育った環境に左右される部分が大きい。
何が「普通」かは、教わらなければわからないこともある。
だからといって、すべてを許す必要はない。
でも、「ああいう人は全員こうだ」と決めつけた時点で、自分の世界も狭くなる。
それだけは気をつけたいと思っている。
最後に
僕が伝えたかったのは、「嫌い」や「拒絶」そのものがダメなんじゃないということ。
大切なのは、その感情にどう向き合い、どう行動するかだと思う。
「関わらない」という選択もありだし、
ときには「注意して距離を取る」「理解しようとしてみる」という選択もある。
すべては、自分を守りながら、誰かを不当に裁かないためのバランスなのかもしれない。