適職診断の結果

学生時代、アメリカの職業適性診断を受けてみた。
結果はこうだった。

1位:陶芸家
2位:映画監督
3位:コメディアン
(ギリで)教育関係
そして──組織に入ると無能になるタイプ、との診断。

無能??インターネット上にあるお遊び診断ではなく、大学が推奨する適職診断で無能と診断されたのは悲しい。

今回は、この診断結果をもとに「なぜこれらが自分の適職なのか」、ちょっと真面目に考えてみた。

陶芸家:孤独と集中の中にある自由

1位が陶芸家という時点で、すでに“組織向きではない人間”が確定したようなものだ。

陶芸って、誰かに褒められるためでも、評価を得るためでもなく、
「ただ、自分の手で、目の前のものと向き合う」という行為だと思う。

その時間の中にある孤独、集中、自由。

自分の人生にも、そういう時間が何度かあった。
脚本を書いているとき、映像を編集しているとき、ギターを無心で弾いているとき──。

つまり、“陶芸的な時間”こそが、自分を整える唯一の手段だったのかもしれない。

映画監督:社会とズレた感覚を、物語に変える人

2位が映画監督。これは正直、「自分が今やってること」だった。

企画、脚本、演出、撮影、編集、出演まで全部やって、
「誰も撮らない話」を、誰も見ない場所から撮る。
それが、自分にとっての映画づくり。

向いてる/向いてないじゃなくて、
「こうでもしなきゃ、生きられないからやってる」って感じだ。

診断がそれを見抜いたというのが、ちょっとおもしろかった。

コメディアン:ズレを笑いに変える力

3位がコメディアン。意外だけど、たぶん納得してる。

「空気が読めない」のではなく、
「空気をズラす」ことに喜びを感じるタイプ。

世間とズレた視点、人と違う感覚、言葉のすれ違い、常識への皮肉。
自分の中にある“違和感のセンサー”が、何かを笑いに変えてくれることがある。

あれは、人を笑わせるというより、
「これ、変じゃね?」と突っ込まずにいられないだけなんだよな。

組織に入ると、無能になる。

診断結果の最後の一文が、強烈だった。

「あなたは組織で働くと、無能に見られがちです」

冷静に考えれば、それも当然かもしれない。

組織って、
• 空気を読むこと
• 協調すること
• 予定通りに動くこと
が求められる。

でも、自分はいつも、「なぜ?」とか「そもそも論」に戻ってしまう。
そして、周囲の“同調”を乱してしまう。

それが「扱いづらい人」として処理されて、
「使えないやつ」として評価されていく。

だけど、それって無能なんじゃなくて、“場”の問題だったのかもしれない。

教育関係が「ギリ」適職だった理由

「教育」は、たしかに向いてる面もある。

ただ、それは学校的な“集団教育”というより、
一対一で本質を掘っていく教育だったり、
偏差値や点数の外側にある学びを一緒に探す教育だったりする。

一言で言えば、「制度の外にいる先生」みたいな感じ。
そんな役割をやってきたし、これからも関わっていく気がする。

組織の外に居場所をつくる

この診断結果を通じて、気づいたことがある。

「会社で評価されない=無能」ではない。
むしろ、自分を評価してくれる“場所”を自分でつくるしかない。
• 手で表現する=陶芸家
• 世界を切り取る=映画監督
• ズレを笑いにする=コメディアン

どれも、組織の中では浮いてしまうけど、
組織の“外側”から社会に刺激を与える役割だと思う。

だから、こう結論づけておく

「組織では無能」と言われたら、それは、“社会の中心じゃなくて、社会の周縁から世界を変える人”の証拠かもしれない。

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