1937年7月7日──北京郊外の盧溝橋で、日本軍と中国国民党軍のあいだに武力衝突が発生した。いわゆる「盧溝橋事件」である。
当初は偶発的な小競り合いとされ、日本も中国も本格的な戦争に発展させるつもりはなかったとされる。しかしこの事件は、やがて泥沼の「日中戦争(支那事変)」へと拡大していく。なぜこの火種は消されず、むしろ大火となったのか。その流れを語る上で、「通州事件」の存在は欠かせない。
通州事件──もう一つの転機
盧溝橋事件から3週間後の1937年7月29日。北京近郊・通州(現在の北京市通州区)で、日本の支援を受けて設立された「冀東防共自治政府」の中国人部隊が突如として反乱を起こした。彼らは日本人・朝鮮人の民間人を襲撃し、200人以上が虐殺されるという凄惨な事件が発生した。
この「通州事件」は、日本国内に大きな衝撃と怒りを呼び起こした。一般市民が殺されたこと、しかも日本と友好関係にあったはずの政権内からの裏切りだったことが、対中感情を決定的に悪化させた。
新聞各紙は連日この事件をセンセーショナルに報道し、世論は「断固たる報復を」という声一色に染まっていく。
戦争の歯止めを失った瞬間
日本政府は当初、拡大を避ける方針をとっていた。だが軍部の独走、通州事件による国内世論の沸騰、そして中国側(蔣介石政権)の抗戦姿勢──これらが重なり、日本は本格的な派兵を決定する。
ここに至り、「一部地域での軍事衝突」は「全面戦争」へと姿を変えていく。
歴史から学べることとは?
「通州事件があったから日中戦争が始まった」と単純に言うことはできない。しかし、「通州事件がなければ、日中戦争の拡大は数段階遅れていた可能性」は否定できない。暴力による報復感情と、政治の抑制力の崩壊が、戦争への歯止めを外してしまったのである。
冷静な外交の不在、扇動的な報道、そして世論の高まりが、戦争を止められなかった。
この構造は、現代にも通じる教訓ではないだろうか。
参考文献・資料
• 秦郁彦『日中戦争 全史』(上下巻、上下巻、東京大学出版会)
• 防衛省戦史室『支那事変陸軍作戦(1)』
• NHKスペシャル取材班『日中戦争 全記録』
• 橋本明『通州事件の真相』 など
通州事件と日中戦争の関係について、どう捉えるべきか。
もしこの事件がなければ、日本と中国の歴史は違った道を歩んでいたのか。
歴史に「もし」は禁物だとしても、「なぜそうなったのか」を考える視点は、未来を見つめる上で欠かせません。