「レールの外」に立つという選択 〜違和感こそが人生のコンパス〜

子どもの頃から、「普通」に違和感があった。

進学校に進み、有名大学を目指し、安定した職に就き、結婚して家を買い、定年まで働いて……。そういう“理想的”な人生のテンプレートが、どうにも自分にはしっくりこなかった。

教育の現場にいると、強く感じる。
子どもたちは、自分の「好き」や「興味」を語るとき、目を輝かせる。でも、成績や偏差値がその輝きを奪ってしまう瞬間がある。

「それを仕事にして食べていけるの?」
「現実を見なさい」
そんな言葉が、彼らの可能性の芽を摘んでいく。

けれど本当に現実を見ていないのは、大人のほうかもしれない。
AI、少子高齢化、終身雇用の崩壊、環境問題…。これまでの「正解」が通用しなくなっているのに、いまだに“昭和の成功ルート”を子どもたちに押し付けていないだろうか。

レールの外に出てみたら

私自身、社会のレールに違和感を持ちながらも、それを口に出せなかった。けれどある時、自分の「違和感」に正直になろうと決めた。

カメラを手に取り、山を歩き、映画を観て、ギターをつま弾く。
好きなものに触れていると、なぜだか心が軽くなる。
そして、その「軽さ」こそが、人生の進むべき方向を教えてくれている気がした。

違和感は、逃げではない。問いの始まりだ。

レールの外に出るという選択は、不安でもある。
でも、他人が敷いたレールの上で迷い続けるより、自分の足で道を探す方が、ずっと健やかで、ずっと誠実な生き方なのではないか。

違和感は、あなたを導くコンパス。
「なぜ?」という問いを放棄しないことが、これからの時代を生きる上で、最も大切な力なのかもしれない。

まとめ

今、違和感を感じている人へ。
それはあなたが「間違っている」証ではなく、
まだ名前のついていない人生の始まりかもしれません。

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