はじめに
いまや、派遣社員という働き方は特別なものではなくなりました。
けれどその背景には、「働き方の自由化」という言葉だけでは語りきれない、日本の雇用制度の歴史があります。
実は、派遣制度が整備された当初の目的は、正社員の雇用、特に当時の中堅社員たちの立場を守ることにありました。
今回は、「なぜ派遣が当たり前になったのか」を、制度の変遷とともに振り返ってみたいと思います。
派遣という制度は、もともと“例外”だった
1986年に施行された「労働者派遣法」。
この法律ができた当初、派遣が認められていたのは、通訳やソフトウェア開発、秘書などのごく限られた専門職のみでした。
背景には、「正社員の雇用を守る」という強い意識があります。
つまり、派遣という働き方は“例外的”に、そして“一時的”に活用される存在として出発したのです。
正社員の雇用を守る「調整弁」としての派遣
1990年代、日本経済はバブル崩壊によって長期の低迷に入ります。
企業は人件費の見直しを迫られる中、長年勤めてきた中堅社員たちの雇用を守ることが優先されました。
そこで導入されたのが、必要に応じて外部から人材を補う「派遣制度」。
正社員の雇用はそのままに、業務の波に柔軟に対応できる手段として、企業にとって都合のよい存在になっていったのです。
派遣制度の緩和とともに進む“当たり前化”
1999年には法律が改正され、ほぼすべての業務で派遣労働が認められるようになります。
2004年には製造業にも派遣が解禁され、工場や物流の現場などにも一気に広がっていきました。
「いつでも人を呼べる」体制は、企業にとって大きなメリット。
そしていつの間にか、派遣という働き方は“特別”なものではなく、“日常的”なものになっていきます。
広がったからこそ見えてきた課題
制度が整い、働き方の選択肢が広がる一方で、いくつかの課題も見えてきました。
• 正社員との待遇差(給与・福利厚生など)
• 契約期間の終了による不安定な生活
• 長期的なキャリア形成の困難さ
2008年のリーマンショックでは、多くの派遣社員が「派遣切り」に遭い、社会問題として大きく報道されました。
その後、制度の見直しが進み、「無期雇用派遣」や「同一労働同一賃金」といった制度が導入されていきます。
雇用を守る制度が、線引きの仕組みに
本来、正社員の雇用を守るために整備された派遣制度。
ですが、それが結果として「正社員」と「非正規」の分断を生み出す要因にもなってしまいました。
同じ職場で働いていても、待遇も、将来の見通しも違う。
企業にとっては便利な制度だったとしても、現場の“温度差”は残ったままです。
おわりに
「派遣社員が当たり前になった」と聞くと、それが自然な流れのようにも思えます。
でも、その背後には、「誰かを守るために設計された制度」があったことを、私たちは知っておく必要があるのかもしれません。
もちろん、派遣という働き方にメリットを感じて、自ら選ぶ人もいます。
ただ、「なぜこうなったのか」を知ることは、これからの働き方を自分で選び直すためのヒントになるはずです。
“当たり前”の背景には、必ず意図と歴史がある。
働き方を考えるとき、その視点を忘れずにいたいと思います。