再入学した大学で学んだ、少し意外な理由
資格を取るために大学に再入学したとき、授業で思わぬ“問い”に出会った。
「仏教はなぜ民衆に広まったのか?」
以前の自分なら、「民衆の心の救済のため」「平和を願って」などと答えていたと思う。
でも実際に学んでいくと、それだけでは説明できない、もっと“生々しい事情”が見えてきた。
日本に仏教が伝わった当初、それは天皇や貴族のための宗教だった。
仏教は“鎮護国家”の思想と結びつき、中央集権の正当性を支えるために利用された。
立派な寺を建て、僧を保護することは、国家の権威そのものだった。
しかし、時代が下るにつれて国家財政が逼迫し始める。
農民は課税逃れを覚え、地方との統制も緩くなる。
そして、仏教という宗教を“国家の専売特許”として維持し続けることが、財政的にも物理的にも難しくなっていった。
そこで起きたのが、いわば“仏教の民間開放”だった。
理念ではなく、都合。
信仰の理想ではなく、国家の限界。
「仕方がなく一般に布教された」──
その視点を持つと、歴史が急に現実味を帯びてくる。
やがて仏教は、地獄絵図や念仏、お札など、より庶民の感情や日常に寄り添うかたちで変化していく。
私たちが親しむ“民衆の仏教”は、理想の中からではなく、むしろ“限界の中から”広がっていった。
宗教の広がりが、必ずしも純粋な理想から生まれたわけではない。
そこには、いつの時代も「政治」と「現実」がある。
そんな学びを、大学で再び得られたことに感謝している。