日本人メジャーリーガーのパイオニアといえば、多くの人が野茂英雄を思い浮かべるでしょう。圧倒的な実績を引っ提げ、日本プロ野球のエースとしてメジャーリーグへ渡り、日本人選手への評価を大きく変えました。
サッカーなら、中田英寿がヨーロッパ挑戦のパイオニアです。世界最高峰の舞台でプレーし、日本人選手が欧州で活躍する道を切り開きました。
では、新庄剛志はどうだったのでしょうか。
実は、新庄は「成功する」と期待されて渡米した選手ではありませんでした。2000年オフにメジャー挑戦を表明した際、多くの野球関係者やファンは「無謀な挑戦ではないか」と見ていました。
阪神時代の新庄は人気選手ではありましたが、首位打者や本塁打王を争うような打者ではありません。阪神時代の打率は.2割台、通算本塁打145本と、打撃成績だけを見れば球界を代表するスラッガーとは言えません。
しかし、新庄には誰にも負けない武器がありました。
それが守備です。
強肩、俊足、広い守備範囲、そして打球判断。メジャーリーグでも高く評価され、現地関係者からは「守備だけならメジャーでもトップクラス」と称賛されました。日本でもイチローは名外野手として知られていますが、新庄もまた、守備力によってメジャーで十分に通用することを証明した選手でした。
さらに驚かされたのは、2001年にサンフランシスコ・ジャイアンツで日本人選手として初めてメジャーリーグの4番打者を務めたことです。レギュラーシーズンでは打率.268、10本塁打、56打点を記録し、チームの地区優勝にも貢献しました。
そして、新庄の挑戦が与えた影響は数字以上に大きかったと言えます。
野茂英雄が「日本人投手でもメジャーで通用する」ことを証明したなら、新庄剛志は「スター選手でなくても、自分の武器があればメジャーに挑戦できる」ことを示しました。
その後、日本球界から多くの選手がメジャーリーグへ挑戦する流れが加速していきます。もちろん、その背景にはFA制度やポスティング制度の整備など複数の要因がありますが、新庄が挑戦への心理的なハードルを下げた存在の一人だったことは間違いないでしょう。
教育でも同じです。
最初に挑戦する人は、決して周囲から歓迎されるとは限りません。「無理だ」「失敗する」と言われることもあります。
しかし、挑戦する人がいるからこそ、新しい道が生まれます。
子どもたちにも、「成功する人」だけではなく、「挑戦した人」にも目を向けてほしいと思います。
歴史を変えるのは、いつの時代も「前例がない」と言われる一歩を踏み出した人なのです。