1993年に開幕したJリーグ。
今では世界トップクラスの選手が日本でプレーすることは珍しくなりました。しかし、Jリーグ創設当時は、世界中が驚くようなスター選手が次々と来日しました。
例えば、
- ジーコ(鹿島アントラーズ)
- ゲーリー・リネカー(名古屋グランパス)
- ピクシーことドラガン・ストイコビッチ(名古屋グランパス)
- ドゥンガ(ジュビロ磐田)
いずれもワールドカップや欧州のトップリーグで活躍した世界的名選手です。
では、なぜ当時の日本はこれほどの選手を獲得できたのでしょうか。
理由① 日本経済が世界トップクラスだった
1990年代前半、日本はバブル経済崩壊直後とはいえ、まだ世界有数の経済大国でした。
Jリーグのクラブは、
- 日産自動車(横浜マリノス)
- 三菱自動車(浦和レッズ)
- ヤマハ発動機(ジュビロ磐田)
- 住友金属(鹿島アントラーズ)
- NEC(ベルマーレ平塚の前身運営企業の一つ)
など、日本を代表する大企業が支えていました。
企業にとってJリーグは広告効果の高い事業であり、世界的スター選手への高額な年俸も投資として考えられていたのです。
理由② 欧州サッカーは今ほど巨大産業ではなかった
現在の欧州サッカーは、放映権収入だけで数千億円規模の市場です。
しかし1990年代初頭は、まだプレミアリーグも発展途上でした。
現在なら欧州のビッグクラブしか払えないような年俸を、当時の日本企業は提示できました。
つまり、日本は世界でも有数の「高待遇リーグ」だったのです。
理由③ 日本は安心して生活できる国だった
外国人選手が日本を高く評価した理由は、お金だけではありません。
- 治安が良い
- 医療水準が高い
- 食事がおいしい
- 家族が安心して暮らせる
- 契約どおりに給与が支払われる
こうした生活環境も、多くのスター選手が来日を決断した理由の一つでした。
理由④ 世界最高の選手から直接学べた
Jリーグ創設時の目的は、単に観客を集めることだけではありませんでした。
世界トップレベルの選手と日本人選手が一緒にプレーすることで、日本サッカー全体のレベルアップを目指していたのです。
実際にジーコは鹿島アントラーズで選手として活躍するだけでなく、プロ意識や練習への姿勢を若い選手たちに伝えました。
その教えを受けた選手たちが、日本代表やJリーグを支える存在へと成長していきます。
教育にも通じること
私はこの時代のJリーグを見ると、「環境が人を育てる」という教育の原則を思い出します。
一流の人の近くで学ぶことは、教科書では得られない刺激があります。
スポーツでも勉強でも同じです。
優れた指導者や仲間と過ごすことで、考え方や取り組む姿勢まで自然と身についていきます。
Jリーグ黎明期は、日本が経済力を背景に世界中のスター選手を招いた時代でした。
しかし、それ以上に価値があったのは、日本サッカーに「世界基準」を根付かせたことです。
子どもたちにも伝えたいのは、「一流に触れる経験」は人生を大きく変える可能性があるということです。
本物に出会い、本物から学ぶ。
その積み重ねが、人を大きく成長させるのではないでしょうか。