「阪神が優勝する。」
今では優勝争いをする阪神タイガースを見る機会も増えました。しかし、私が子どもの頃から長い間、阪神は「勝てないチーム」の代名詞でした。
1985年、日本一になった阪神。
しかし、その後は17年連続で優勝から遠ざかります。
Aクラス入りすら少なく、最下位を何度も経験しました。
当時の阪神は、毎年のように監督が交代し、有望な選手を獲得しても育たない。期待されても翌年には失速する。
「阪神は弱くて当たり前。」
そんな空気さえ漂っていました。
その流れを変えようとしたのが、1999年に監督へ就任した野村克也さんでした。
野村監督の3年間の成績だけを見ると、最下位、最下位、最下位。
結果だけ見れば失敗だったと思われるかもしれません。
しかし、それは大きな誤解です。
野村監督は「勝つチーム」ではなく、「勝てるチームの土台」を作りました。
データを重視する野球、考える野球、ID野球。
選手に「なぜ失敗したのか」「どうすれば成長できるのか」を考えさせました。
そして、若手を積極的に起用しました。
赤星憲広、藤本敦士、濱中治などが頭角を現し、後に主力となる礎が築かれました。
さらに、野村監督は矢野燿大を捕手へ本格的に定着させ、投手陣の整備にも力を注ぎました。
目先の勝利よりも、数年後を見据えたチームづくりだったのです。
そのバトンを受け取ったのが、2002年に就任した星野仙一監督でした。
星野監督は野村監督が耕した土壌に、新しい風を吹き込みます。
「勝つ集団」をつくるため、金本知憲や伊良部秀輝ら経験豊富な選手を補強し、チーム全体に「優勝する」という強い意識を植え付けました。
何より星野監督は、選手に自信を持たせることが抜群にうまい監督でした。
「お前たちは勝てる。」
その言葉を信じた選手たちは、次第に表情が変わっていきます。
そして2003年。
阪神タイガースは18年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
あの年の甲子園、関西中が歓喜に包まれた光景は、今でも忘れられません。
星野監督は「阪神を優勝させた監督」として語られます。
もちろん、それは間違いありません。
しかし私は、その優勝は星野監督一人の力ではなく、野村監督が3年間かけて作った土台があったからこそ実現したものだと思っています。
教育も同じです。
子どもは、ある日突然成長するわけではありません。
見えないところで基礎を積み重ね、失敗を繰り返し、自信を育て、ある日一気に花が開くのです。
表舞台で成果を出した人は称賛されます。
しかし、その前に土台を築いた人の存在も忘れてはいけません。
教育者も、親も、指導者も、すぐに結果が出なくても焦る必要はありません。
今やっていることが、数年後の大きな花を咲かせる根になるかもしれないからです。
阪神タイガースの2003年の優勝は、「土台を作る人」と「花を咲かせる人」の両方がいてこそ成し遂げられた、まさに組織づくりの教科書だったと思います。