「約束の地」は、なぜ戦場になったのか
第一部では、パレスチナ問題の出発点となった第一次世界大戦と、イギリスによる「三枚舌外交」を紹介しました。
アラブ人には独立を約束し、フランスとは中東分割を取り決め、ユダヤ人にはパレスチナへの「民族的郷土」の建設を支持する――。
三つの約束は互いに矛盾し、その火種は戦後も消えることはありませんでした。
そして、その火種を一気に燃え上がらせたのが、第二次世界大戦でした。
ヨーロッパで起きた悲劇「ホロコースト」
1933年、ドイツで アドルフ・ヒトラー が政権を握ると、ユダヤ人への迫害は急速に激しくなります。
職を奪われ、財産を没収され、隔離され、そして強制収容所へ送られていきました。
第二次世界大戦中には、およそ600万人のユダヤ人が殺害されたとされています。
この大量虐殺は「ホロコースト」と呼ばれ、人類史上最悪級の人権侵害の一つとして位置づけられています。
戦後、世界は深い衝撃を受けました。
「二度とユダヤ人を迫害させてはならない。」
その考えが国際社会に広がっていきます。
パレスチナにも変化が起きていた
一方、イギリスが委任統治していたパレスチナでは、ヨーロッパから多くのユダヤ人が移住していました。
移住が進むにつれて、
「自分たちの土地を奪われるのではないか」
という不安がパレスチナのアラブ人の間で高まります。
土地をめぐる衝突や暴動も増え、イギリスは統治が難しくなっていきました。
イギリスは問題を国際連合へ
第二次世界大戦後、疲弊したイギリスにはパレスチナ問題を解決する余力がありませんでした。
そこで問題は新しく設立された 国際連合 に委ねられます。
1947年、国連は歴史的な決議を採択しました。
パレスチナ分割決議です。
内容は、
・ユダヤ人国家を建設する。
・アラブ人国家も建設する。
・エルサレムは国際管理とする。
というものでした。
双方の受け止め方は正反対だった
ユダヤ人側は、この案を受け入れました。
悲願だった国家建設が実現するからです。
しかしアラブ側は強く反発しました。
人口ではアラブ人の方が多かったにもかかわらず、多くの土地がユダヤ人国家に割り当てられたためです。
さらに、「自分たちが代々住んできた土地を、なぜ国際社会が勝手に分けるのか」という強い不満もありました。
この時点で、双方の溝は決定的になりました。
1948年、イスラエル建国
1948年5月14日。
ダヴィド・ベン=グリオン はイスラエル建国を宣言します。
建国からわずか数時間後、周辺のアラブ諸国が軍を動かしました。
エジプト
ヨルダン
シリア
レバノン
イラク
こうして第一次中東戦争が始まります。
第一次中東戦争(1948~1949年)
アラブ諸国は、
「イスラエル建国を認めない。」
という立場でした。
一方、イスラエルは建国したばかりの国家を守るために戦います。
結果は、多くの人の予想を覆しました。
イスラエルが勝利します。
しかも国連分割案以上の領土を獲得しました。
一方、およそ70万人以上のパレスチナ難民が発生したとされています。
この出来事は、パレスチナ側では「ナクバ(大災厄)」と呼ばれ、現在も歴史認識の大きな焦点となっています。
エルサレムは分断された
戦争後、
西エルサレムはイスラエル、
東エルサレムはヨルダンが支配しました。
エルサレムは、
ユダヤ教
キリスト教
イスラム教
三つの宗教にとって重要な聖地です。
そのため、この都市をめぐる問題は現在まで続いています。
第二次中東戦争(1956年)
次の戦争はスエズ運河がきっかけでした。
エジプトの ガマール・アブドゥル=ナーセル は、スエズ運河の国有化を宣言します。
スエズ運河はヨーロッパとアジアを結ぶ重要な海上交通路です。
これに反発したイギリス・フランスは、イスラエルと秘密裏に協力し、エジプトを攻撃しました。
軍事的にはイスラエル側が優勢でしたが、アメリカとソ連が停戦を強く求めたため、最終的に撤退します。
ここで世界は、大きな変化を目の当たりにします。
かつて中東を支配していたイギリスとフランスの影響力は低下し、代わってアメリカとソ連という二つの超大国が中東政治に深く関与する時代が始まったのです。
第三次中東戦争(1967年)
1967年。
イスラエルは周辺国との緊張が高まる中、エジプト空軍などに対して先制攻撃を行いました。
この戦争はわずか6日間で終結したため、「六日戦争」と呼ばれます。
イスラエルは圧倒的な勝利を収め、
・シナイ半島(後にエジプトへ返還)
・ガザ地区
・ヨルダン川西岸
・東エルサレム
・ゴラン高原
を占領しました。
特に東エルサレムを支配下に置いたことは、現在まで続く対立の大きな転機となりました。
国際社会の多くは、占領地へのイスラエル人入植について国際法上問題があるとの立場を取っています。一方、イスラエルは安全保障や歴史的・宗教的な権利などを理由に異なる主張をしています。この点も、現在まで解決が難しい理由の一つです。
「石油」という新しい武器
第三次中東戦争を経て、アラブ諸国はあることに気づきます。
「軍事力だけではイスラエルに勝てない。」
そこで注目したのが石油でした。
中東には世界有数の石油資源があります。
もし輸出を止めれば、西側諸国の経済に大きな打撃を与えられる。
この発想が、後に世界経済を揺るがす出来事につながります。
日本との意外な関係
当時の日本は高度経済成長の真っただ中でした。
工場も、自動車も、発電所も、その多くが中東産の石油に支えられていました。
つまり、中東で起きる出来事は、遠い国の問題ではなかったのです。
この時点ではまだ日本の日常生活への影響は限定的でしたが、次の戦争が日本社会を大きく揺るがします。
教育として考えたいこと
第一次世界大戦後の約束。
ホロコーストという悲劇。
イスラエル建国。
そして繰り返される戦争。
どの出来事も一つだけを切り取れば理解できそうに見えます。
しかし、実際には、それぞれが前の出来事と複雑につながっています。
歴史を学ぶ意味は、「○○が悪い」と結論を急ぐことではありません。
なぜ人々がそのような選択をしたのか。
当時の人々は何を恐れ、何を守ろうとしたのか。
そうした背景を知ることで、現代の国際情勢を見る目も養われます。
世界史は、過去を暗記する教科ではありません。
現在の世界を理解するための「地図」なのです。
次回予告
第三部では、第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)を中心に、
- OPECによる石油戦略
- 第一次オイルショック
- トイレットペーパー騒動
- プロ野球ナイター中止
- 深夜テレビの放送自粛
- 『ウルトラマンレオ』をはじめとするテレビ業界への影響
- 日本企業が省エネ技術へ舵を切った理由
など、「中東の戦争が日本の日常をどう変えたのか」を、歴史・経済・文化の視点から詳しく解説します。