中田英寿が日本サッカーを変えた

「日本人が世界で活躍する。」

今では当たり前のように聞く言葉ですが、30年近く前は決して当たり前ではありませんでした。

現在、日本代表にはヨーロッパの強豪クラブでプレーする選手が数多くいます。しかし、その道を切り開いた選手の一人が中田英寿です。

1998年、中田英寿は21歳でイタリア・セリエAのペルージャへ移籍しました。

当時のセリエAは、世界中のスター選手が集まる世界最高峰のリーグでした。

ロナウド、ジダン、バティストゥータ、デル・ピエロ、トッティ、マルディーニ、ネスタ、カンナバーロ……。

世界最高の選手たちがしのぎを削る舞台で、日本人選手が活躍できると本気で思っていた人は、それほど多くありませんでした。

ところが中田は、デビュー戦で当時絶対王者だったユベントス相手に2ゴールを決めます。

世界中が驚きました。

「日本人でもここまでできるのか。」

その評価は一夜にして変わったのです。

その後、ASローマへ移籍すると、バティストゥータやトッティ、カフーら世界的スターとともにプレーします。

レギュラーではない時期もありましたが、2001年、優勝争いの天王山となったユベントス戦で途中出場すると、強烈なミドルシュートを決めて試合の流れを変えました。

この試合はローマのスクデット獲得につながる歴史的な一戦として、今でもイタリアで語り継がれています。

では、もし全盛期の中田英寿が2026年ワールドカップの日本代表にいたらどうでしょうか。

私は間違いなく世界で通用したと思います。

なぜなら、中田の武器は時代を選ばないからです。

当たり負けしないフィジカル、90分走り続ける運動量、鋭い縦パス、広い視野、両足で蹴れる技術、そして何より試合を支配する強いメンタリティ。

現在のサッカーでも求められる能力を、20年以上前にすでに高いレベルで備えていました。

久保建英や三笘薫、遠藤航らと並び、日本代表の中心選手になっていた可能性は非常に高いでしょう。

中田英寿の本当の功績は、ゴール数やタイトルだけではありません。

「日本人でも世界最高峰で戦える。」

その事実を証明したことです。

その後、中村俊輔、本田圭佑、香川真司、長谷部誠、岡崎慎司、長友佑都、そして現在の久保建英や三笘薫へと、日本人選手の海外挑戦は当たり前になっていきました。

もちろん、Jリーグの発展や育成環境の充実など、さまざまな要因があります。しかし、中田英寿が世界で戦う姿を見た若い世代が、「自分にもできるかもしれない」と思えたことは、日本サッカーにとって計り知れない財産だったはずです。

教育の世界も同じです。

新しい道を切り開く人は、最初から称賛されるわけではありません。

「無理だ」「通用しない」と言われることもあります。

それでも挑戦する人がいるから、新しい時代が生まれます。

子どもたちには、成功した人だけではなく、「最初の一歩を踏み出した人」の勇気にも目を向けてほしいと思います。

歴史は、挑戦する人によってつくられるのです。

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