「オリンピックの日本代表なら、君が代をきちんと歌うべきだ。」
かつて、元内閣総理大臣の森喜朗氏は、このような趣旨の発言をし、大きな議論を呼んだ。
賛否は大きく分かれた。
「国歌を歌うのは当然だ」という人もいれば、「歌うことを求めるのは思想・良心の自由に関わる」という人もいた。
私は、どちらの意見にも耳を傾ける必要があると思う。
思想や良心の自由は、日本国憲法で保障された大切な権利である。
だから、国歌についてさまざまな考え方が存在することは、民主主義社会として自然なことだ。
しかし、そのことを理解した上で、私は国歌は歌うべきだと考えている。
理由は単純である。
国歌は特定の政党や政治思想のためにあるものではなく、日本という国を象徴する歌だからだ。
サッカー・ワールドカップやオリンピックを見ていると、ブラジル、アルゼンチン、フランス、イタリアなど、多くの強豪国の選手たちは胸を張り、自国の国歌を力強く歌っている。
もちろん、国歌を歌うことと勝敗に直接の関係はない。
しかし、その姿からは、自分たちは国を代表して戦うという誇りや責任感が伝わってくる。
私は、その光景を見るたびに、「やはり強い国には、自国への誇りを自然に表現できる文化がある」と感じる。
日本代表も近年は「君が代」を歌う選手が増えた。
その姿を見ると、一体感や覚悟が伝わってきて、とても頼もしく感じる。
教育で大切なのは、「歌え」と命令することではない。
「君が代はどのような歌なのか。」
「なぜ日本の国歌になったのか。」
「歌詞にはどんな願いが込められているのか。」
その背景を学び、自分の国の文化や歴史を理解した上で歌うことに意味がある。
意味も知らずに歌うのではなく、意味を知った上で歌う。
それが本当の教養ではないだろうか。
森元首相の発言は、今でも評価が分かれる。
しかし、「国を代表する人には、自国の国歌を大切にしてほしい」という思いそのものは、多くの国では決して特別な考え方ではない。
私は、自分の国を大切に思う気持ちと、他国を尊重する気持ちは両立できると考えている。
自分の国を愛することは、他国を否定することではない。
教育とは、知識を教えるだけではなく、自分のルーツや文化を知り、それを大切に思える心を育てることでもある。
だから私は、子どもたちには「君が代」を歌えるようになってほしい。
それは強制されるからではない。
日本という国の歴史と文化を理解し、その上で自然に敬意を表せる大人になってほしいと願うからである。