「スポーツに政治を持ち込んではいけない。」
私たちはよくそう言います。
しかし、ワールドカップの歴史を振り返ると、政治とサッカーは何度も交わってきました。
実はワールドカップは、世界情勢や国家の思惑を映し出す鏡でもあるのです。
ムッソリーニと1934年イタリア大会
1934年、第2回ワールドカップはイタリアで開催されました。
当時のイタリアは、独裁者ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権の時代です。
ムッソリーニはワールドカップを「イタリアの偉大さ」を世界へ示す宣伝の場として利用しました。
歴史研究では、開催国イタリアに有利な判定が相次いだことや、審判への政治的圧力があった可能性が指摘されています。
特に準決勝イタリア対オーストリア、決勝イタリア対チェコスロバキアでは、現在でも判定を疑問視する研究者は少なくありません。
もちろん、当時のすべての判定が不正だったと証明されているわけではありません。
しかし、「政治が大会に影響を及ぼした可能性が高い大会」として、1934年大会は今でも語り継がれています。
ヒトラーと1938年フランス大会
1938年大会はフランスで開催されました。
当時のヨーロッパではナチス・ドイツが勢力を拡大し、前年にはオーストリアを併合(アンシュルス)しています。
その結果、本来独立国として出場するはずだったオーストリア代表は消滅し、多くの選手がドイツ代表への合流を求められました。
しかし、急ごしらえの代表チームはまとまりを欠き、ドイツは1回戦で敗退します。
国家の都合で作られたチームが、必ずしも強くなるわけではないことを示した出来事でした。
翌1939年には第二次世界大戦が始まり、1942年大会と1946年大会は中止となります。
ワールドカップも世界大戦には勝てなかったのです。
2002年日韓ワールドカップ
日本と韓国が共催した2002年大会では、韓国代表がベスト4まで進出しました。
一方で、決勝トーナメントのイタリア戦やスペイン戦では、退場判定やゴール取り消しなど、韓国に有利だったとされる判定が世界中で大きな議論を呼びました。
現在でも「あれは誤審だった」と考えるサッカーファンは多くいます。
しかし、「韓国が審判を買収した」という点については、公的な調査や裁判などで事実として認定された証拠は確認されていません。
そのため、歴史を語る際には、「判定を巡る大きな論争があった」と表現するのが事実に即した説明です。
歴史は繰り返すのか
1934年大会では、政治権力が大会を利用した可能性が歴史研究で指摘されています。
2002年大会では、判定を巡って世界中で議論が起こりました。
両者は同じではありません。
しかし、どちらも「スポーツは決して政治や社会から切り離された存在ではない」ということを教えてくれます。
ワールドカップは単なるスポーツイベントではありません。
そこには戦争、独裁、外交、国家の威信、民族問題など、世界史で学ぶ多くのテーマが詰まっています。
だから私は、子どもたちに世界史を学んでほしいと思います。
歴史を知れば、ワールドカップは90分の試合ではなく、100年以上続く人類の歴史として見えてくるからです。