「歴史は過去の出来事を暗記する教科ではない。」
私は、教育に携わる中でそう考えています。
歴史とは、「なぜその出来事が起こったのか」「その後、世界はどう変わったのか」を考える学問です。
しかし、日本の学校教育では、第二次世界大戦を十分な時間をかけて学んでいるとは言い難い面があります。
もちろん、授業時間には限りがあります。
それでも、戦後80年以上が経過した今だからこそ、感情論ではなく、史実に基づいて冷静に学ぶことが大切ではないでしょうか。
例えば、日本ではあまり詳しく扱われない歴史の一つが、インドネシア独立戦争です。
1945年、日本の敗戦後、インドネシアはオランダからの独立を宣言しました。
その後の独立戦争では、日本軍が占領期に組織した義勇軍(PETA)で訓練を受けた人々が独立軍の中核となり、終戦後も現地に残って独立軍に参加した日本人兵士もいました。
また、初代大統領スカルノは、日本の占領が独立への準備となったという趣旨の発言を残しています。
一方で、日本軍占領下では強制労働(ロームシャ)など多くの犠牲も生まれました。
つまり、日本の存在は「独立に影響を与えた」という側面と、「現地の人々に大きな苦難を与えた」という側面の両方から考える必要があります。
歴史は、一面的に語れるものではありません。
また、1937年の通州事件も、日本では詳しく学ぶ機会が多いとはいえません。
この事件では、多くの日本人居留民が犠牲となりました。
一方で、同じ時代には南京事件をはじめ、中国側の民間人が大きな被害を受けた出来事もありました。
どちらか一方だけを学ぶのではなく、双方の出来事を知り、その背景や経緯を考えることが歴史教育には求められるのではないでしょうか。
私は、ドイツの歴史教育にも学ぶべき点があると思います。
ドイツでは、ナチス政権やホロコーストについて学校教育の中で繰り返し学びます。州によって教育課程は異なりますが、中等教育の複数の学年でさまざまな角度から扱われ、強制収容所跡の見学などを行う学校もあります。
自国にとって苦い歴史であっても向き合い、議論し、教え続ける姿勢は、民主主義を支える市民を育てるうえで重要な意味を持っています。
日本でも、第二次世界大戦をより丁寧に学ぶことは、過去を美化するためでも、自虐的になるためでもありません。
「何が起きたのか」「なぜ起きたのか」「世界はその出来事をどう見ているのか」を、多面的な資料をもとに考えるためです。
そして私は、国際社会で活躍する人に本当に必要なのは、英語だけではないと思っています。
英語は、世界の人々と話すための道具です。
しかし、そのとき「あなたの国の歴史を説明してください」と聞かれたらどうでしょう。
自分の国の歴史を知らなければ、相手に伝えることはできません。
だから私は、
国際人に必要なのは、「世界史」と「英語」の前に、まず日本史をしっかり学ぶことだと考えています。
もちろん、日本史だけでは十分ではありません。
日本史を学び、その上で世界史を学ぶ。
日本から世界を見て、世界から日本を見る。
その往復によって初めて、自国を客観的に理解し、他国の歴史や文化も尊重できるようになります。
教養とは、知識の量ではありません。
異なる立場の資料を読み比べ、一つの出来事を多角的に考える力です。
AIが答えを示してくれる時代だからこそ、「何を知っているか」ではなく、「どう考えるか」が問われます。
その土台となるのが、歴史教育なのだと私は思います。